ラモス瑠偉の若い頃!伝説のスーパープレーからエピソードまでを徹底考察

2025年2月朝ドラ「おむすび」にサプライズ出演した、ラモス瑠偉さん。

日本のサッカー創世記を支えた、往年のスーパースターと言っても過言ではありません。

ドーハの悲劇が懐かしい

今回はラモス瑠偉さんの若い頃をまとめると同時に、4つの伝説エピソードを紹介します。

目次

ラモス瑠偉さんのプロフまとめです。

生年月日:1957年2月9日(68歳)

出身地:ブラジル

愛称:カリオカ

国籍:日本(1989年に帰化)

家族構成:妻・長男・長女

クラブチーム

1975-1977:サージFC

1977-1996:読売クラブ/ヴェルディ川崎

代表歴

1989-1995:日本代表

男はサッカー指導者

やはり、サッカーの道に進むんですね。

長女は歌手

詳細は分かりませんが、アーティストとして活躍されているようです。

伝説のループシュート

ラモス瑠偉選手の代名詞でもあるループシュートは、芸術的!

1994年12月2日 Jリーグサントリーチャンピオンシップ第2戦のサンフレッチェ広島戦で見せた、ループシュートは、今でも語り継がれる伝説ゴールの一つです。

ちなみにこの時のサンフレッチェ広島には、現日本代表監督の森保監督も選手として出場していました。

 

伝説のパスドリブル

1993年ヴェルディ川崎 VS 浦和レッズ戦で見せた、ビスマルク選手との約30mにわたるパスでつなぐドリブル。

当時の日本サッカーのレベルが低かったこともありますが、サッカーを楽しんでいるプレーですよね。

 

痛み止めを打たずに試合に出場する理由が伝説

「そのとき痛み止めの注射を打たなかったのは、痛みを忘れてプレーすると本当に筋肉が切れてしまうから。それくらいの症状。テーピングをぐるぐる巻きにしたけど、案の定少し切れていた」

情熱的なプレーが印象的であった、ラモス瑠偉さん。

ピッチでは、常に厳しい表情で、気を抜いた選手を見つけるとすぐ様、駆けつけて怒鳴るほどでした。

常に、熱いプレーを見せるラモス瑠偉さんは、自分にも厳しかったようです。

乱闘王ラモス瑠偉の伝説

情熱的なプレーにより、激高に触れると手をつけれなくなることもしばしばあったようです。



相手選手の顔面にボールを投げつけ大乱闘。

オーバーアクションで倒れた選手が笑ったことにで、なりふり構わずに追いかけ回して1年間の出場停止処分を受けたこともある。

 

 

今回はラモス瑠偉さんの若い頃をまとめると同時に、4つの伝説エピソードを紹介しました。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

目次